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関大リーダークランツ掲示板

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イカシオ&湯豆腐 - 富田 (男性)

2020/07/31 (Fri) 10:21:57

投稿を12したもののスマホでは11しか表示されない。よって、12番目を再投稿します。
PCでは12投稿は表示されています。

リークラでの思い出話:11
イカシオ&湯豆腐
方向オンチなもので、天神橋筋商店街出口から天六駅を見て、天六駅の左側にあった立ち飲みの居酒屋さん。

この居酒屋でリークラメンバーと度々酒を飲んでいた記憶があります。お気に入りメニューはイカシオ。イカの短冊を鉄板の上で焼きながら塩を上からパラパラとかけ、仕上げはレモン汁をかける単純な一品だが、これが実に旨い( ̄~ ̄)

そして冬場の湯豆腐、これはオボロ昆布が入っており、柚子味で絶品!
この居酒屋に行くと、男性のリークラメンバーに時々(^^)お会いして、つい長居する時もある。言わば、喫茶店マンダリンのほか、この居酒屋もリークラメンバーとの社交的な場所であったと思う。

2年生からと思うが、阪神甲子園球場の近く(西宮市甲子園町)で下宿しており、朝食、夕食付きで下宿代は月10,000円チョイ。月給は手取り約20,000円余、昼食代や交通費も必要だし、かなり厳しい生活状況。足らずはボーナスの貯金取り崩しと親の援助(援助してもらったのは授業料)。

あの居酒屋の今、もう無くなっているだろうな…後輩の方もこの居酒屋に通われただろうか、古き昭和時代の思い出です。

Re: 楽譜のコピー - 富田 (男性)

2020/07/31 (Fri) 10:29:30

楽譜のコピー
リークラでの思い出話:12
古き昭和時代の思い出に、楽譜のコピー(正確にはコピー機による楽譜のコピー)があります。
組曲のように1冊にまとまったものをコピーするのは困難ですが、単曲1ページなら職場のコピー機を無断使用、無断転載していました。もう時効なのでご勘弁のほどを。

当時のコピー機は湿式と乾式のコピー機、どちらも設計図の青写真のような仕上がりです。このコピー機の後に、感熱紙的なコピー機が登場します。今では、プリンターなら自宅で簡単にコピー、プリンターなければコンビニ等で簡単にコピーできます。

下宿先で各パートをしっかり覚えるため、私は2部コピーしていましたが、なかなか覚えが悪いというか、休日になるとコンコンと襖を叩いて別部屋の下宿人が来ます、麻雀の誘いです(^^)
なので、各パート譜を読み覚える時間がーという言い訳になってしまいます(^^)

Re: Re: 通勤通学経路の変更 - 富田 (男性)

2020/07/31 (Fri) 23:06:14

通勤通学経路の変更
リークラでの思い出話:13
私は1年生の時、堺市の交通不便な某駅から西宮の勤務先に通勤し、勤務先の計らいで終業時間30分前に仕事を終え天六学舎に通学、そして長~い天神橋筋商店街を歩き帰宅していた。
〔往路〕
阪和線某駅→金岡駅(現:堺市駅)で急行乗換→天王寺(環状線で)→大阪→西宮
〔復路〕
西宮→大阪→天満→天神橋筋商店街(徒歩)→天六学舎→天神橋筋商店街(徒歩)→天満→天王寺→阪和線某駅

自宅から勤務先まで有に90分以上、起床からだと2時間要する。夏季はサマータイムで始業時刻は9時から8時30分になるため、この30分で異常に疲れる。

これを見かねた姉夫婦の好意で通勤通学経路の変更となリ、茨木市の姉夫婦宅への居候が始まる。
〔往路〕
阪急茨木市→淡路※→※梅田→阪神西宮
〔復路〕
阪神西宮→梅田(大阪)※→※天満→天神橋筋商店街(徒歩)→天六学舎→天六※→※阪急淡路→阪急茨木市
となる。
つまり※→※部分は片道利用なので交通費も割高になるのだが、天神橋筋商店街の徒歩が1回になり、通勤通学の疲れが激減した!
ただ交通費に無駄が生じる!

今思えば〔復路〕
阪神西宮→梅田→阪急淡路→天六
に変更すれば良かったのではと思うことが時々ある懐かしい通勤通学経路の変更である。

この状況を知っていた勤務先の(先に下宿している)友人から近々、大阪勤務の下宿人が退去するので友人が下宿先に来ないかと嬉しい話。下宿により、またまた通勤通学経路変更となるのである。
〔往路〕
阪神甲子園→阪神西宮
〔復路〕
阪神西宮→阪神野田(北大阪線)→天六→天六学舎→天六(北大阪線)→阪神野田→阪神甲子園

これで随分、通勤通学が楽になったのである。リークラ部員の中には当時、奈良県や姫路市から通学している方もおられ、あの長~い天神橋筋商店街を往復したことが懐かしいのではと思う。

Re: Re: Re: バイク通学 - 富田 (男性)

2020/08/03 (Mon) 15:54:19

バイク通学
リークラでの思い出話:14
通勤通学経路の変更を諸々書いたが、2年生の頃には下宿していた。
下宿先では朝夕の食事付きなので、昼食は勤務先で、また夕食は下宿先の奥様が用意されているので、学食は殆ど利用していない。

学食を利用するのは、溜まりに溜まった洗濯物を実家で洗濯してもらうため、実家に帰る土曜日の夜ぐらいだったと思う。学食を殆ど利用していないが、食器はアルミやアルマイトが混在しており、かなりボコボコに凹んだリ歪んだものもあったかと思う。

大量の洗濯物をどう運ぶかと言えば、バイクである。自動二輪免許を高校卒業後、自宅からの通勤通学時期に取得し、下宿するまで自宅に置きぱなっしていたバイクの活用が本格化。よって、土曜日は、実家に帰宅する否やに関わらずバイクでの通勤通学もあった。

今でこそ週休二日制になっているが、当時は土曜日も仕事で、リークラ部員も仕事をしながらの学業、部活は厳しかったと思われ、それ故に思い出深い青春時代であったかと思われる。

学食の価格を覚えていないが、バイクに乗っていた昭和41年(1966年)当時、ガソリン価格は、1リッター50円位でした。

Re: Re: Re: Re: 大阪万博出演 - 富田 (男性)

2020/08/04 (Tue) 19:52:13

リークラでの思い出話:15
大阪万博出演
コロナ禍で東京オリンピックが2021年に延期され、その後に2022冬季オリンピック、また2025年に再度、大阪万博が予定されている。このようなビッグイベントは誰しもワクワクすること間違いないと思われる。

ビッグイベントである1970年に開催された大阪万博会場で合唱する機会を頂いた。多くの合唱団が参加しての合同合唱で勿論、当時のリークラ部員も思いきり歌う貴重な経験をされています。合唱場所は、お祭り広場であったと思いますが、期間中、どの時期に合唱したのかの記憶が…ありません。

リークラでの活動とは別になりますが、この頃の私のバンド活動を少々。
エレキバンド活動の傍ら、あるグループからバンドを結成するので協力してほしいと打診があり、リークラのリサイタルでバック演奏させて頂いたドラムスのG君と、私はエレキベースで協力することになりました。

編成は、トランペット、アルトサックス、ギター、ベース、ドラムスのクィンテットです(^^)
練習場所はといえば、とある事業所の地下にある機械室でした。このメンバーと練習するうちに、アルトサックスの方からサックスを教えていただき、私もサックスを練習することの契機になっていきます。

現役部員からなのかOB会からの連絡であったのか忘れてしまいましたが、現役部員との合唱のお誘いを頂いております。上述したように多忙で参加できず残念な思いがあります。でも何度かリークラのリサイタル(定期演奏会)に出向いていました。

スキー旅行 - 富田 (男性)

2020/08/05 (Wed) 10:27:35

スキー旅行
リークラでの思い出話:16
大学3年生の時、リークラ有志でスキー旅行をしている。私は1年生の時かと思っていたのだが、N君に尋ねると私が参加したのは3年生の時だったとのことでした。道理で、N君や先輩達は1年生から参加していたのかお聞きしていないが、スキーが巧いはずだ。

スキー場は長野県の野沢温泉にあるスキー場で、私は人生初のスキー経験になる。スキー道具もなく最初は断っていたが、スキー道具一式はレンタルできるのでと熱心に誘われ決行、でも、スキーウエアはどうだったか記憶にない。例の怖いアパッチ先輩も参加していた…ような記憶も少々。

中学生の頃にローラースケートを友人にもらって練習した経験が少しあり、緩い傾斜面で普通に直滑降程度なら難なくクリアできた。初心者のツアーコースは少し転ぶも、まあまあのクリアかなと思う。

スキーに少し慣れた頃、緩い斜面から少し急斜面で滑って転倒、前向きに転倒したため顔面からになる。口の中を切って血まみれ、また唇の下も切っており、宿(民宿)に帰って応急処置をして頂いた。
この時の唇下の傷は今もうっすらと残っています。

痛みで寝込むハメになるが、幸いにも骨折をしていないので、夜には痛みも治まっていた。この民宿の息子(大学生)は帰省して民宿を手伝い、またスキーインストラクターでバイトしているとのことでした。私の怪我の様子を心配して部屋に訪ねて来てくれたのです。この後、麻雀をする模様。

麻雀部屋を訪問し、私も加わった。結果はボロ勝ちで、宿の息子は支払不能になって、私の民宿代が無償となった。

帰る日には車の天井近くまで雪が被っているほどの大雪だったことを薄ら記憶にあります。この頃の私は自動二輪免許のみで、帰路はN君の運転でした。途中、前の車が遅かったのか、N君はスピードを上げ前の車を追い越した時に…サイレンの音。何と覆面パトカーを追い越したので御用のはめに。

御用になった時、警官は、派手にやってくれたね、ここは木曽義仲ゆかりの地だよ何とか言っていたような。あの時の反則金の半分を負担すべきと後悔したことがある。

Re: ソフトボール - 富田 (男性)

2020/08/05 (Wed) 12:01:51

ソフトボール
リークラでの思い出話:17
段々と思い出話のネタ切れ状態になってきました。何せ50年以上も前の記憶など簡単には思い出せないし、思い出したとしても記憶違いや曖昧な点が多数ある。

大阪市立大学で事務職員として勤務されていたT先輩(←お名前合っているかな)の計らいで、同大学のグラウンドをお借りして、リークラでソフトボールをやったことがある。

同大学は阪和線の杉本町駅の隣に位置し、日本最古の市立大学でもある。ノーベル賞受賞の山中教授も同大学大学院卒業生です。私が参加していたバンドの後輩にも同大学の卒業生がおり、コロナの影響で現在、活動停止している。

肝心のソフトボールだが、覚えているのは、私が打ったボールが建物の屋根に当たったことだけという情けない記憶のみで、この打球はフェアゾーンで、ホームランか2塁打になったかの記憶はないが、このようなリークラでのリクリエーションは楽しい思い出である。

次の思い出話のネタを思い出すまで、一時休止か脱線コメントになるか今は不明なり。

リサイタル(続編) - 富田 (男性)

2020/08/08 (Sat) 13:05:45

リークラでの思い出話:18
リサイタル(続編)

思い出話の1&9ほかでリサイタルのことを記述していますが、その続編です。

まずリサイタルと書いていますが、これは長年途絶えていた定期演奏会の復活であったため、敢えてそう記述しています。
リサイタルを行うに際して、部員ほかOBの皆さんも準備が必要なのですが、そのマニュアルがないため、相当な困難があったと思われます。私は指揮者として練習に専念しているため、裏方と言って良いのか分かりませんが、その方々のご苦労は大変だったと思います。

舞台で着用するユニフォームですが勿論無く、男子は、関大一部の混声合唱団(ひびき)様のユニフォームをお借りしました。その後の定期演奏会では…どうだったのか思い出せない…です。ひびきの皆様、本当に有難うございました。

また、演奏会場を決めるに際し当然、その使用会場の経費やプログラムやチケット作成経費等々も必要です。演奏会場のパイにもよりますが、一体どれくらいの経費が必要になるのか、それをカバーしていただく聴衆者がいかほどお越しいただけるのか、チケットをどう売り捌くのか等々、大変なご苦労があったと思います。このリサイタルの計画から実行監理リーダーのM部長をはじめ部員と先輩の皆様に感謝しています。そして定期演奏会として継続していただいた後輩の皆様にも。


私の高校時代に合唱していた音楽部の同期生に最近電話をしています。その方との年賀状交換は50年以上で、最も長く年賀状交換している大切な友人です。
Sさん宅の留守電録音中にSさんが電話をとってくださいました。お話ししたのは50年ぐらい前だろうか?聞き覚えのあるお声、とても懐かしく嬉しかった。そのSさんからリサイタルの続編を書くきっかけをいただきました。
私がこの掲示板に書くようになった経緯については、もう一つの思いがあります。それは、竹内まりやさんの「人生の扉」という曲がきっかけでもあります。
良かったら聴いてみてくださいませ。
https://www.youtube.com/watch?v=GBJuRfQPdZM
「人生の扉 歌詞 英語 発音」で検索すると英語部分の意味もわかりますが、竹内さんは50歳過ぎで?私は70歳頃かな?
この歌の歌詞が全ての方に当てはまるのではと思いますが、私の場合は相当遅すぎた…です。

話を戻しますが、高校時代のとても大切な友人Sさんとはその後メールで、お互い懐かしい高校音楽部時代のことを思い出しながら書き綴っています。そのメール内容の一部から。

私がリサイタルの案内をハガキで知らせたようで、Sさんは我々リークラのリサイタルにお越しいただいていたのです。つまりSさんは、半世紀以上も前のことを覚えておられたのです。とても感動的なメールでした!

Sさんは多分と前書きしておられましたが、リサイタル会場は淀屋橋辺りのホールかもと、ただハッキリとは覚えていないそうです。私も覚えていないことをSさんは思い出してくださったので、もう感謝感謝の最高感動です。

私が指揮をした曲は、リークラでの思い出話:9で記述しているように2曲しか思い出せないのですが、Sさんからのメールによればドライ・ボーンズ(これは私の記憶と一致)とグリーン・スリーヴスとありました。この曲を指揮した記憶は残っていませんが当時、私は大好きなブラザース・フォーの曲をよく聴いていました。
以前、ブラザース・フォーの東京公演を録画していましたが、グリーン・スリーヴスは英語で書かれたラブソングとしては、歴史上最も古い曲かもしれませんと紹介されていました。

良かったら聴いてみてくださいませ、ブラザース・フォーのグリーン・スリーヴス。
https://youtu.be/NYoD4qvqmts?t=1854

東京公演
https://youtu.be/NYoD4qvqmts

歌声喫茶でほか - 富田 (男性)

2020/08/08 (Sat) 14:20:19

リークラ部員と歌声喫茶に行った記憶はないが、バンドのメンバーと何度か行ったことがある昭和の懐かしい1ページ。

歌唱指導のMCと歌伴奏はピアノかアコーディオン、ベースがあることもあった。勿論、ジャズ喫茶のように聴きたい曲のリクエストのように、歌いたい曲もリクエストできました。飛び入りというか?客だが、1人で歌う猛者もおられました。

当時の人気曲はロシア民謡や唱歌、歌謡曲、フォークソングもありました。
私はフォークソングが好きなので、昭和41~44年までのリリース曲を手持ちの楽譜本から、拾い出してみます。

S41年リリース
星に祈りを/若者たち/バラが咲いた/お嫁においで/想い出の渚/君といつまでも/夕陽が泣いている/君について行こう/今日の日はさようなら/いつまでもいつまでも

S42年リリース
銀色の道/帰ってきたヨッパライ/野バラ咲く路/花とおじさん/空に星があるように/バラ色の雲/世界は二人のために

S43年リリース
リムジン江/誰もいない海/青年は荒野をめざす/小さな日記/小さなスナック/友よ/悲しくてやりきれない/山谷ブルース/時には母のない子のように/長い髪の少女/花の首飾り/受験生ブルース/チューリップのアップリケ

S44年リリース
風/空よ/或る日突然/遠い世界に/白いブランコ/ひとり寝の子守唄/いいじゃないの幸せならば/白い珊瑚礁/白い色は恋人の色/真夜中のギター/さとうきび畑/フランシーヌの場合

以上の曲は(全部ではなくとも)歌声喫茶でも歌われていましたし、当時のリークラ部員とは部室で歌っていました。リークラ出身者は全曲歌えなくとも、聴いた曲があるかもね。

また、歌声喫茶は、1970年代頃から現れてきた8トラックカラオケの影響か、畳むところも徐々に。
歌声喫茶では時々、ハーモニーが聞こえてくる曲もあった。恐らく合唱団経験者だろうと思う。リークラでもハーモニーを上手に付ける方がおられた。その方は、私をよく指導したくださった笹〇先輩でした。

天六学舎ほか - 富田 (男性)

2020/08/10 (Mon) 11:40:12

この掲示板は関西大学リーダークランツのホームページからリンクされており、OB会がホームページを引き継いだように記述されているも、長らく更新されていないように思える。夜間部が無くなったこと等やOB会メンバーも高齢化?、その他諸事情等もおありと推察され、更新が出来ないのはやむを得ないかと思う。

そのホームページに、リーダークランツ第41回定期演奏会のお知らせがあり、その開催日は、2010年12月25日とある。
毎年定期演奏会が行われていたと仮定すれば、1970年が第1回の演奏会となる。

私と同期のN君が指揮したリサイタル(定期演奏会)は3年生の時、それは1968年であった。それも途絶えていた定期演奏会の復活年であり、1968年以前の最終定期演奏会のハッキリとした記憶はなく、どなたかだったか思い出せないが、リークラの歴史的な記録を見せて頂いた記憶はある。長く定期演奏会が途絶え、1968以前には3~4年(回)、定期演奏会は行われていたようであった。

私の直前に投稿されている齋藤さんのコメントを読むと、学業との両立は大変だったもよう。リークラには1955年(4月)から4年間在籍で、私がその7年後に入部したことになる。投稿によれば「現在87歳で地元の男性合唱団で歌っています」とあり、後輩の方へのメッセージも添えられています「頑張ってください」と。素晴らしい先輩ですね。

若干変わっている箇所もありますが、私も通っていた懐かしい天六学舎
https://www.kansai-u.ac.jp/past/global/guide/maptenroku.html


ご参考
http://www.kansai-u.ac.jp/mt/archives/2016/09/post_2273.html
から抜粋
天六学舎は1929年に開設。本学舎では1994年3月まで夜間教育が行われ、多くの優れた人材を輩出しました。同年4月に第2部(夜間部)を千里山キャンパスへ全面移転して以降は、エクステンション・リードセンターによる社会人向け講座を開設するなど、20年間にわたり試行錯誤を続けてきましたが、その跡地利用について十分に有効活用できなかったことを主な理由に閉鎖が決定。その歴史ある学舎は、2014年9月に開催された「クロージングイベント・ありがとう天六学舎」をもって、85年の歴史に幕を下ろしました。

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